今年はベートーヴェンの生誕250年の年に当たり、本来であればベートーヴェン・イヤーとして多くの音楽イベントが行われるはずでした。ところが新型コロナウイルスのおかげでことごとく取り止めとなってしまい残念です。そこで久々にベートーヴェンを取り上げることにしました。歌劇「フィデリオ」です。
19世紀前半のドイツオペラでは後輩のウエーバーの「魔弾の射手」の人気が高く、「フィデリオ」はいまひとつなんて方もおられますが、とんでもない、大傑作だと思います。
「フィデリオ」は16世紀のスペインが舞台で、不当に牢獄に投獄された政治家フロレスタンを、妻のレオノーレが男に変装してフィデリオと名乗り、勇敢にも刑務所に潜入して夫を助け出すという話です。原作者はフランスの劇作家ジャン=ニコラ・ブイイで、フランスの作曲家ピエール・ガヴォーのオペラ「レオノール、または夫婦の愛」のために書き下ろされました。舞台設定はスペインとされていますが、実際はフランス革命後の恐怖政治の真っ只中のフランスが舞台です。昔のスペインの出来事ということに置き換えて、当時の異様な社会が描かれました。
この台本は何人もの作曲家に取り上げられましたが、ベートーヴェンも「自由解放と夫婦愛」というテーマに共感して、ドイツ語訳の台本で作曲に取り組みました。但し、「フィデリオ」には三つの稿が有り、第1稿と第2稿ではタイトルも「レオノーレ」でした。更に序曲を毎回新しく書いたので4種類(数が合わない!?)存在します。その作曲の経緯を追ってみるとベートーヴェンの苦心の跡がよく分かります。
第1稿「レオノーレ」1805年版(全3幕)
ベートーヴェンが楽譜に記したタイトルは、原作の「レオノーレ、または夫婦の愛」でしたが、この原作を使用したオペラが既に上演されていたため、劇場はそれらと区別するために「フィデリオ」のタイトルで上演しました。序曲には「レオノーレ」序曲第2番(のちの呼称)が使用されています。公演は失敗に終わりますが、当時ウィーンがフランス軍に占領されていたために、観客の大半がフランス兵でドイツ語が理解出来なかった為だという説も有ります。
第2稿「レオノーレ」1806年版(全2幕)
ベートーヴェンは、すぐに作品の改訂を行います。一部の曲をカットして2幕構成へ書き替えました。大きくは第1幕と第2幕がまとめられて第1幕となり、第3幕はほぼそのまま第2幕となりました。序曲は新しく作曲されました(「レオノーレ」序曲第3番)。この時もベートーヴェンは「レオノーレ」のタイトルで上演を希望しましたが、またしても「フィデリオ」として上演されます。公演はまずまずだったようです。
第3稿「フィデリオ」1814年版(全2幕)
その後、8年が過ぎ、1814年に再び上演されることになり、台本と音楽の両方を改訂した第3稿が完成します。第1稿と比べて遥かに流れが簡潔になり、音楽も迫真性を増しています。楽譜のタイトルも正式に「フィデリオ」として、新しい序曲を作曲しました(「フィデリオ」序曲)。この上演は大成功を収め、以後「フィデリオ」はこの第3稿で演奏されます。
人気の高い「レオノーレ」序曲第3番は本来、第3稿には含まれませんが、マーラーが指揮した時に第2幕第2場への間奏曲として演奏をしました。マーラーの死後には定着しませんでしたが、のちにフルトヴェングラーがこのやり方を復活させてから一般的と成ります。オリジナル重視で演奏されない場合も多いですが、ウィーンでは伝統的に演奏されています。
なお「レオノーレ」序曲第1番はベートーヴェンの死後に楽譜が遺品として発見されたもので、作曲の経緯も不明です。そもそも第1番から第3番までの番号はベートーヴェン自身によるものではなく、後世に付けられたものです。
歌劇「フィデリオ」のあらすじ
第1幕 セヴィリアの郊外。高い城壁に囲まれた牢獄の中庭
正義の政治家フロレスタンは刑務所長ピツァロの不正を暴こうとして策略にかかり不当に牢獄に囚われている。フロレスタンの妻レオノーレは男に変装してフィデリオと名乗り、牢番の助手となって潜入して夫の行方を探る。
所長ピツァロが登場すると、政敵フロレスタンへの勝利に高笑いし、牢番にフロレスタンの処刑を命じる。しかし牢番がレオノーレの助言で囚人たちを日光浴に出すと、囚人は喜び、自由への希望に満ちて「囚人の合唱」を歌う。
第2幕 陰鬱で暗い地下牢
フロレスタンは地下の独房で鉄鎖に縛れ、絶望して「ああ、なんと暗いところだろう」と歌う。その囚人こそが夫だと知ったレオノーレは処刑のために地下牢に来たピツァロに正体を明かし、我が身を投げ出して夫の処刑を止めようとする。
そのとき、フロレスタンの友人である大臣フェルナンドの到着を知らせるラッパが響く。大臣はピツァロの不正と悪事を裁き、すべてが解決する。
解放されて自由の身となった囚人たちと民衆によりレオノーレの勇敢な愛を讃える大合唱となって幕が下りる。
それでは「フィデリオ」の愛聴盤のご紹介です。このオペラでは、演奏史的にもフルトヴェングラーとベームの二人の巨匠が中心になります。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン国立歌劇場(1950年録音/EMI盤) ザルツブルク音楽祭におけるライブ録音です。演奏の傷はそれなりに有りながらも、フルトヴェングラーの実演の凄さを聴ける点で価値が大きいです。残念なのはオリジナル録音テープが契約上の問題から放送局で消去されてしまい、複製テープからでしか聴けないことです。歌は比較的良く聴き取れますが、全体にザラつきが多く管弦楽の音はかなり貧しいです。レオノーレのフラグスタートはこの人のオバさん声さえ気にならなければ貫禄の名唱です。フロレスタンはパツァークが歌っています。レオノーレ序曲第3番は演奏され、そこからたたみ掛けてフィナーレに向かう迫力がすさまじいです。しかし最後まで聴き通すと耳が可哀そうな音はやはり如何ともし難いです。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1953年録音/EMI盤) こちらはEMIによるセッション録音ですので、モノラルながらも音質の点で‘50年の録音より遥に上です。これなら充分鑑賞に耐えられます。ライブ信奉者からは“気が抜けた演奏“などと不評ですが、そんなことはありません。迫力は有りますし、造形的にも優れ、重厚でスケールの大きな演奏が素晴らしいです。フルトヴェングラー晩年のシンフォニー演奏を好む人には第一にお勧めします。レオノーレのメードル、フロレスタンのヴィントガッセン以外の声楽陣も極めて優れています。もちろんレオノーレ序曲第3番は演奏されています。セリフが入らないのは好みですが、妥当なところです。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1953年録音/キング・インターナショナル盤) EMIによるセッション録音の直前にアン・デア・ウィーン劇場で行われたライブの録音です。これまでイタリア盤しか出ていませんでしたが、来月国内リマスター盤が出ることになったので予約しました。聴後に感想を書き加えます。
カール・ベーム指揮ウィーン国立歌劇場(1955年録音/オルフェオ盤) 第二次大戦で焼け落ちた国立歌劇場が再建された記念公演のライブです。流石はベームというかライブでも古典的で堅牢な造形性ときりりと引き締まった統率力が抜群です。モノラルながら録音状態も良く、この名演奏が不満なく楽しめます。管楽器が僅かに引っ込み気味ですが、逆に弦楽器がとても美しく録られています。二幕に入ると実演のベームならではの緊張感と迫力が増して思わず惹き込まれます。レオノーレはメードル、フロレスタンはデルモータで、他の声楽陣も優れています。もちろんレオノーレ序曲第3番は演奏されています。
カール・ベーム指揮ベルリン・ドイツオペラ(1963年録音/ポニーキャニオン盤) 日生劇場のこけら落としのために来日したベルリン・ドイツオペラの「フィデリオ」がベームの指揮で行われました。ニッポン放送による優秀なステレオ録音が残され、この記念碑的な演奏を楽しめます。オーケストラこそ‘55年盤には及びませんが、声楽陣と合唱に関しては遜色のない素晴らしさです。主役のレオノーレのルートヴィッヒ、フロレスタンのキングともに最高で、これだけ高いレベルの演奏を生で聴けた日本の聴衆はつくづく幸せでした。一幕から既に熱いですが、後半に入ると更に熱くなり迫力が増してゆく点で最高です。レオノーレ序曲第3番もしっかりと演奏されます。
カール・ベーム指揮ドレスデン国立歌劇場(1969年録音/グラモフォン盤) これはドイツの名門歌劇場を使ったセッション録音ですので、全てにおいてバランスが良く、安心して楽しめます。ただし、ベームがこのオケを振ると余りにガッチリし過ぎて響きが筋肉質に感じられるきらいが有ります。ですので、もう少し音に柔らかさを求めたい気がしてしまいます。G.ジョーンズのレオノーレ、キングのフロレスタン、他の声楽陣も皆素晴らしいです。レオノーレ序曲第3番は演奏されています。
カール・ベーム指揮バイエルン国立歌劇場(1978年録音/オルフェオ盤) ベームの長き“フィデリオの旅”の総決算となった演奏がライブ録音されています。それまでの緊張感みなぎる演奏とはやや印象が変わり、音楽が実に深く、風格やスケールの大きさを強く感じます。演奏が緩くなった訳でもなんでも無く、ベームはやはりベームです。ベーレンスのレオノーレ、キングのフロレスタン他の声楽陣には優秀なメンバーが揃っていますし、名門歌劇場のオーケストラも大変上手く、この素晴らしい演奏が優れた録音で楽しめるのは最高です。レオノーレ序曲第3番もしっかりと演奏されています。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン国立歌劇場(1962年録音/グラモフォン盤) カラヤンにとっても「フィデリオ」はやはり特別なオペラです。ベームと並んで数多くの演奏を行ないました。そのカラヤンが壮年期にウィーンで指揮した公演がライブ録音されているのは幸せです。モノラルですが録音もこの時期になるとかなり優れています。演奏はライバルのベームほどガッチリはしていなく、良く言えば自由でしなやか、悪く言えば統率の緩さが有ります。けれども如何にも劇場の実演という感興を楽しめて良いです。レオノーレはルートヴィッヒ、フロレスタンはヴィッカースです。レオノーレ序曲第3番は演奏されます。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1970年録音/EMI盤) カラヤンは全盛期に主兵のベルリン・フィルを使って多くのオペラのセッション録音を残しました。これもその一つですが、演奏は緻密を極め、かつ重厚な迫力で管弦楽が響き渡ります。序曲のシンフォニックな演奏にオペラ幕開けのイメージが湧かずに面食らいますが、本篇に入ると安定したテンポでスケールが大きく音楽の美しさを味わえます。歌が入ると生の舞台の躍動感を彷彿させるようになり楽しめますが、歌無しの部分ではあたかも純粋な管弦楽曲を聴いているようです。特に第二幕第二場では圧倒的な大迫力です。なんだか、その前にレオノーレ序曲第3番が含まれていない“うっ憤”を晴らしているかのように聞こえます。レオノーレはデルネッシュ、フロレスタンはヴィッカースです。
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管(1962年録音/EMI盤) クレンペラーのシンフォニー演奏と共通して、ゆったりとしたイン・テンポで一貫して悠然とスケール大きく音楽を進めます。このマエストロにかかってはこの自由解放ドラマも余り人間臭くは無くなります。ルートヴィッヒのレオノーレ、ヴィッカースのフロレスタン、フリックのロッコをはじめ声楽陣は優れています。フィルハーモニア管の響きにこそ深みや含蓄は有りませんが、この時代のEMIにしては海外盤で聴く限り録音も良好です。但しこのタイプの演奏でレオノーレ序曲第3番を含まないのはがっかりです。カラヤンとクレンペラーはフルトヴェングラーに逆らいたくて演奏をしなかった訳でも無いでしょうが。
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン国立歌劇場(1978年録音/グラモフォン盤) バーンスタインもウィーンで大変愛されて、指揮台に度々上がりました。ベートーヴェンのシンフォニー全集と共に「フィデリオ」の録音が残されたのは嬉しいです。全体的にゆったりとした構えの演奏ですが、随所にウィーン・フィルと歌劇場合唱団の美しい響きがバランス良く克明に刻まれているのが最大の魅力です。セッション録音の良さが生かされています。レオノーレはヤノヴィッツ、フロレスタンはルネ・コロで文句ありませんし、マルツェリーネのルチア・ポップも最高です。レオノーレ序曲第3番もしっかりと演奏されています。
さて、演奏だけを比べればベーム/ウィーン国立歌劇場の1955年盤が好きなのですが、録音状態も含めた総合点ではベーム/バイエルン歌劇場盤を取ります。それにしてもベームの「フィデリオ」をウィーン、ベルリン、ドレスデン、バイエルンという名門オペラハウスの演奏で聴けるのはつくづく幸せです。ベーム以外ではバーンスタイン/ウィーン国立歌劇場が好きです。フルトヴェングラーについては来月まで待ちましょう。
第1稿(1805年版)「レオノーレ」CD
さて、番外で第1稿(1805年版)のCDも上げましょう。
近年は原典主義に立ち返り、第1稿や、時には第2稿で演奏されることが有ります。第1稿には幾つかのCDが出ていますが、第2稿は原典版と最終版の間で割を食っている感じでCDは出ていないようです。 ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)シュターツカペレ・ドレスデン(1976年録音/Berlin Classics盤) 第1稿で所有しているのは、ブロムシュテットがドレスデンで音楽監督をしていた時代にルカ教会でセッション録音されたものです。エッダ・モーザー、テオ・アダム、カール・リッダーブッシュ、ヘレン・ドナートといった層々たる歌手を揃えられたのは東ドイツのシャルプラテンと西側のEMIとの共同制作だったからでしょう。このオーケストラのいぶし銀の音色を忠実に捉えている録音はベーム盤を上回ります。演奏も手堅いもので、ブロムシュテットの同楽団との交響曲全集の素晴らしさを知る方には、そのままイメージをして貰えれば良いです。この第1稿は通して聴くと、全体的に長く散漫に感じられますが、カットされてしまった美しい部分も有り、第3稿「フィデリオ」とはまた別のオペラを聴くような気にもなれて、案外楽しめます。このCDは廉価盤のBrilliantレーベルからも出ていますしお勧めです。