ショスタコーヴィチはポスト・マーラーの最大の交響曲作曲家と言われますし、その通りだと思います。ショスタコーヴィチの愛好家は、自ら「タコ・マニア」と称してはばからず、その思い入れも半端無く、ある意味マーラー・マニア以上かもしれません。自分もこの人の15曲の交響曲は一通り聴いていますが、マニアにはまだまだ程遠いです。
特に好きだと言えるのは、やはり5番、それにこの7番です。この2曲はマニアでない一般の音楽ファンが、最初に聴くべき名曲であると思います。この2曲以外は、マニア度がぐっと増しますが、私は8、11、12、13番あたりが好きです。
ともかく交響曲第7番は一大傑作です。この作品には有名なエピソードがあり、それを知らなくても充分楽しめますが、作品の成立する背景を知ることで作品への共感が数倍増すのも確かです。
この曲は、第二次世界大戦の際に、ドイツ軍に包囲されたレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)における、いわゆる“レニングラード包囲戦“の真っただ中で作曲されました。その900日近くにわたる包囲により、市民の餓死者は100万人を超えたとも言われています。すでにドイツ軍の包囲で飢餓が始まっていた1941年の9月にショスタコーヴィチは、市のラジオ放送でおよそ次のように語ります。
「1時間前、私は、新しい交響的作品の最初の2つの楽章を書きあげました。私は、一度も故郷を離れたことのないレニングラードっ子です。今の厳しい時を心から感じています。レニングラードこそは我が祖国、故郷、我が家です。市民の皆さんも私と同じ思いで、生まれ育った街並み、愛しい大通り、美しい広場、建物への愛情を抱いておられるでしょう。この作品を皆さんの前で発表することを誓います。」
この放送は多くの市民に感動を与え、ドイツとの抗戦意欲を奮い立たせたとされます。
作曲の完成後、レニングラードでの初演に先立って、1942年7月に疎開をしていたムラヴィンスキーとレニングラード・フィルにより当時の臨時首都であったノヴォシビルスクにて初演が行われました。そして翌8月には、カール・エリアスベルク指揮、ラジオ・シンフォニー(現在のサンクトペテルブルク交響楽団)の演奏により、ついにレニングラードでの初演が行われました。演奏会の為に前線から多くの演奏家たちが呼び戻され、奇跡的に演奏会が実現したのです。演奏会の当日は空襲の標的にされないように灯りも消され、ドイツ軍とソビエト軍が激しい砲撃の応酬を行う音が聞こえていたにもかかわらず、市民は演奏に聴き入っていたそうです。
ソビエトはこの作品をナチスのファシズムへの対抗の為にプロパガンダに利用します。初演を国家的なイベントとした政府は、ショスタコーヴィチにスターリン賞を授与します。更には反共産国であるアメリカにも楽譜を秘密裏に届けて演奏させることを目論み、トスカニーニの指揮によりアメリカ初演が全世界に放送されました。
そうしたことから、大戦後には批判にもさらされてしまいますが、‘70年代に出版された「ショスタコーヴィチの証言」によれば、ショスタコーヴィチはこの曲について「ファシズム、それはもちろんだが、ファシズムとは単に国家社会主義(ナチズム)を指しているのではない。この音楽が語っているのは恐怖、屈従、精神的束縛である。つまり、第7番はファシズムだけでなくソビエトの全体主義も描いているのだ。」そう語ったと描かれています。
ショスタコーヴィチが「ファシズムに対する戦いと勝利、そして故郷レニングラードに捧げる」としたこの曲は、通称「レニングラード」と呼ばれて、交響曲第5番と並ぶ人気作品となりました。
第1楽章「戦争」 アレグレット ハ長調 ソナタ形式
まず、“人間の主題”が生き生きと力強く開始されます。次に“平和な生活の主題”が美しく落ち着いた雰囲気で奏でられます。やがて、スネア・ドラムのリズムが始まり、“戦争の主題”がそのリズムに乗って奏されます。この主題は敵の侵入を表すという説もありますが、自分にはなんだか田舎の予備役兵か義勇軍が、えっちらおっちら集まって来た行進のように聞こえます。とにかく、この主題は何度も繰り返され、ついには金管群による大迫力の音でソビエト軍とドイツ軍が激突する激しい戦闘シーンが描かれます。しかし、いつしか音楽が止み、静けさが戻ると、犠牲者への慰めが奏でられ、そしてコーダで再び“戦争の主題”が現れます。
第2楽章「回想」 モデラート、ポコ・アレグレット ロ短調 スケルツォ
ショスタコーヴィチはこの楽章について、「楽しい出来事や過去の喜びを、穏やかな悲しみと憂愁が霧のように包み込んでいる。」と説明していて、とても変化に富んでいます。
第3楽章「祖国の大地」 アダージョ ニ長調
ショスタコーヴィチはこの楽章について、「作品の劇的な中心を成している。」と説明しました。悲痛な嘆きのようなコラール主題で開始され、その後に穏やかな長い旋律が現れます。中間部はロシアの広大な大地を騎馬軍団が疾走するような緊迫感のある曲想です。
第4楽章「勝利」 アレグロ・ノン・トロッポ ハ短調-ハ長調
前楽章から連続する地面の揺らぎのような低音とともに序奏が始まり、第一部となる“勝利”を表現するモチーフが展開されます。第二部は“作品の輝かしい帰結”と称され、遅いテンポの音楽が継続します。それは戦争の惨禍や無情さを訴えかけるようです。第三部は重厚、壮大な盛り上がりとなり、嵐のような緊迫感に包まれます。その頂点で“人間の主題”が奏され、勝利を高らかに宣言して感動的に終ります。
※ 昔、武田薬品のCMでシュワちゃんのBGMに「ちーちん、ぷいぷい」と1楽章の戦争の主題が使われたのには驚かされました。タコ・マニアからは「ふざけるな!」とお叱りを受けそうですが、それぐらいポピュラーだということです。
それでは愛聴するCDをご紹介します。
エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1953年録音/BMG盤:メロディア原盤) まずは初演者のムラヴィンスキーとレニングラード・フィルです。古いモノラル録音で、当時のライブ収録としては普通の音質ですが、この壮大な管弦楽作品を聴くにはいかんせん音が貧し過ぎます。弦楽の音は硬く、金管の音は割れています。しかし凄まじいばかりの緊張感は半端なく、単なる「記録」に留まらない大きな感銘を与えてくれます。米Vangard Classics盤でも持っていて、音は幾らかハイ上がりですがBMG盤と大差はありません。
キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1975年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンは世界で初めて、ショスタコーヴィチの交響曲全集をメロディアに録音しますが、これはヴェネチアがライセンスで出したものです。ムラヴィンスキーにも引けを取らないキレ味と凄まじいまでの緊迫感がある演奏です。そうなのです。これは「戦争」なのですね。命がけの戦いですから、壮絶なのは当たり前です。録音は明瞭ですが音質が硬く刺激的で、当時のロシアの楽団に共通する金管の咆哮は相当に耳に応えます。けれどもこれは絶対に聴いておくべき演奏です。
マリス・ヤンソンス指揮レニングラード・フィル(1988年録音/EMI盤) レニングラード・フィルのムラヴィンスキー時代直後の録音ですので、まずオーケストラが非常に素晴らしいです。引き締まった響きと鉄壁のアンサンブルは健在で、ムラヴィンスキーの副指揮者を務めたヤンソンスもスケール大きく、落ち着いた指揮には風格さえ感じさせます。ムラヴィンスキーほどの鋭利さこそ有りませんが、演奏の切れ味の良さは充分です。レニングラード生まれのヤンソンスには、この曲を知り尽くした感が有ります。緊迫感、疾走感も見事ですし、フォルテシモ部分の響きは厚く聴き応えが有ります。これはノルウェーのオスロで行われたEMI録音ですが、音の明瞭さと柔らかさのバランスがとても良いです。
レナード・バーンスタイン指揮シカゴ響(1988年録音/グラモフォン盤) バーンスタインの二度目の録音で、この人の指揮するマーラーのように遅いテンポでスケール巨大な演奏です。ダイナミックスの幅も極めて広いです。第1楽章では戦争の主題が純音楽的に奏されていて、明るい響きがどことなく楽天的に感じられます。戦闘シーンの迫力は相当なものです。第2楽章も遅くリズムは粘り、しつこさがさながらマーラーのようです。第3楽章の荘重さは素晴らしいです。第4楽章もやはり遅くスケールは大きいですが、切迫感は今一つです。フィナーレも音響的には確かに凄いのですが、バーンスタインがこの曲に本当に共感しているかどうかは疑わしいです。世評の高い演奏ですがそれほど好みません。
ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ指揮ナショナル響(1989年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのこの曲の実演は、‘98年に東京で開催されたショスタコーヴィチ・フェスティバルの際に、確か新日フィルか東フィルの演奏会で聴きました。その指揮姿を思い出すのは楽しいです。このナショナル響との演奏はおおらかな雰囲気で、あまり深刻調にはなりません。しかし音のスケールと気宇の大きさはさすがです。当時の主兵のオーケストラですので相性はとても良いと思います。アメリカの楽団ですのでロシアの大地の土臭さは余り感じさせませんが、冷たい空気感などの雰囲気を中々良く出せていると思います。写真は単独盤ですが、所有しているのは全集盤です。
ルドルフ・バルシャイ指揮ユンゲ・ドイッチュ・フィル/モスクワ・フィル団員(1991年録音/BIS盤) ナチスドイツによるソヴィエト侵攻50年記念日に、ドイツの若手演奏家が終結した臨時オーケストラによりライプツィヒで行われたライブです。モスクワ・フィルが加わっていることもあり、技術レベルは高いです。しかし何より、この演奏には悲惨な戦争認識と平和への想いの強さが感じられて胸に響きます。1楽章のトゥッティでのスネアが強過ぎるのが気になりますが、ライブゆえの傷でしょう。3楽章は美しく感動的です。終楽章も気迫に溢れ、コンドラシン時代を思わせる金管の響きが迫力満点です。終結部の壮大さにも圧倒されます。録音も良く、実際のホールに居るような臨場感が素晴らしいです。
ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1992年録音/ブリリアント盤) バルシャイのショスタコーヴィチ交響曲全集に含まれます。ドイツの優秀な放送オケだけあり、響きが美しく刺激的にならず、音色も冷た過ぎないので聴き易いです。1楽章の前半はどことなく乗り切らない印象も受けますが、中間部以降は充実して迫力満点です。2楽章は平均的ですが、3楽章は美しく感動的です。終楽章の緊迫感と迫力も素晴らしいのですが、バルシャイであれば前年のライプツィヒでの記念ライブの感動的な演奏と比べると少々分が悪いです。
エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送響(1993年録音/Daphne盤) スヴェトラーノフというと主兵のロシア国立響との一連の爆演の印象が強いですが、このスウェーデン放送響への客演は爆演とは違います。むしろ弱音部を始めとした美しさが印象的です。もちろんフォルテシモでの壮大なスケールの大きさは健在ですし、とりわけ終楽章の終結部は筆舌に尽くしがたいほどです。このオーケストラの優秀さは良く知られるところで、この演奏も素晴らしいです。むろんライブゆえの小さな傷がないわけではありませんが少しも気になりません。録音も優秀です。
ウラディーミル・アシュケナージ指揮レニングラード・フィル(1995年録音/DECCA盤) このCDには1941年のショスタコーヴィチのラジオ放送の一部が収録されていて、実際の声を聴くことが出来ます。演奏に関してはレニングラード・フィルの響きは相変わらず凄味があり素晴らしいです。ただ不思議なことに全体を覆う雰囲気が、例えば戦争の持つ悲惨さや暗さよりも、明るさや美しさの方が勝っているように感じられます。その点はアシュケナージのピアノにも通じる、ある種の楽天性が出ているのかもしれません。しかし終楽章の切れ味と迫力、終結部の壮大さは聴き応えがあります。DECCAによる優れた録音も貢献度大です。
ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管/ロッテルダム・フィル(2001年録音/フィリップス盤) ロッテルダムにおけるライブで、後述の新盤が出たので旧盤にはなりましたが、忘れてしまうには惜しい名演です。第1楽章の戦争の主題が徐々に盛り上がってゆき、破滅へと向かう劇的な変化の描き方が単なる音響効果に終わらずに秀逸です。2楽章、3楽章も曲想の雰囲気の変化と情緒がとても豊かです。終楽章も繊細さと壮大なスケールの大きさが両立していて見事です。録音もライブ収録にしてはセッション収録的な明瞭な音が楽しめます。
ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルグ・フィル(2008年録音/SIGNUM盤) 同楽団との二度目の録音で、スイス、ジュネーヴでのライブです。どうしても前任のムラヴィンスキー時代と比較されるので気の毒でしたが、実際はこの楽団の実力は少しも落ちていないどころか、時代とともに演奏精度は逆に上がっていると思います。1楽章は、ゆったりと開始して徐々にテンポを速めながら戦闘と破滅になだれ込む解釈が興奮を誘い、3楽章の深遠なまでの美しさも特筆されます。但し、なんと後半のヴィオラの長い旋律と弦のコラールがカットされています。これは問題です。ユーリ、血迷ったか!それでも白眉は終楽章で、地響きを立てるような管弦楽に耳がくぎ付けとなります。終結部も壮大です。音の柔らかさと迫力のバランスが極上の録音も最高です。
ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管(2012年録音/Mariinsky盤) ゲルギエフにとって二度目の録音となりますが、前回と異なり入念なセッション録音です。録音は実際のホールで聴くような臨場感のある音造りで極めて優秀です。その為か音響的には旧盤を上回る聴き応えを感じます。ところが聴き進むうちに、微に入り細に入り様々に表現し尽す手腕に段々と煩わしさを感じてしまいます。演奏の「勢い」「流れ」においては旧盤の方が勝るような気がします。これはやはりライブとセッション録音の違いでしょうか。しかし音そのものは新盤が上ですし、中々に甲乙がつけがたいというのが正直なところです。
所有しているCDは以上ですが、この中から特に好きなものを上げるとすれば、マリス・ヤンソンス/レニングラード・フィル盤です。バルシャイ/ユンゲ・ドイッチュ・フィル&モスクワ・フィル盤も感動的な点ではナンバーワンです。テミルカーノフ/サンクトペテルブルグ・フィル盤は、第3楽章のカットが惜しまれます。それさえ無ければ充分ナンバーワンに成り得ました。
あとは番外として、歴史的なムラヴィンスキー/レニングラード・フィル盤は上げざるを得ないでしょう。