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Channel: ハルくんの音楽日記
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ショスタコーヴィチ 交響曲第13番 変ロ短調 「バビ・ヤール」Op.113 名盤

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ショタコーヴィチが1962年に作曲した交響曲第13番は「バビ・ヤール」という通称を持ちます。

バビ・ヤールとは、ウクライナ(当時はソ連に属した共和国の一つです)のキエフ地方にある峡谷の名で、第二次大戦中にナチス・ドイツによりユダヤ人の大虐殺が行われた場所です。およそ10万人のユダヤ人がこの谷に連行されて殺害されたとされます。

けれどもバビ・ヤールの悲劇はユダヤ人だけのものではなく、その他にもロシア人、ウクライナ人、ジプシーなど、あらゆる国籍の人々がバビ・ヤールで殺害されました。その為に、ソヴィエトの指導者たちはユダヤ人虐殺だけを強調せずに、キエフ市民およびソヴィエト全体に対する犯罪として扱いました。しかし、戦後になると開発により、バビ・ヤールの周辺には公園や集合住宅が建設され、近隣のダム建設による廃土によって峡谷は埋められてしまいます。 

バビ・ヤールでのユダヤ人虐殺は多くの芸術作品の題材となり、ロシアの詩人エフゲニー・エフトゥシェンコが書いた『バビ・ヤール』を、ショスタコーヴィチが交響曲第13番に取り入れました。 

この交響曲は、エフトゥシェンコの詩によるバス独唱とバス合唱付きの5つの楽章から構成されます。第1楽章の標題の「バビ・ヤール」は、この虐殺事件とともに、帝政ロシア時代における極右民族主義によるユダヤ人への弾圧、ソ連時代におけるユダヤ人迫害を暗示し、それを告発する内容の歌詞になっています。ただし第2楽章以降はバビ・ヤールの悲劇とは関係がありません。ソ連における生活の不自由さや偽善性を批判するような歌詞が多く用いられています。 

ソヴィエトには人種・民族問題は存在しないというのが建前であったことから、初演の後にフルシチョフの指示で第1楽章に使われた詩がエフトゥシェンコ自身により改変させられます。ショスタコーヴィチに対しても、詩の改変に基づく音楽の改定が要求されますが、ショスタコーヴィチは音楽の書き換えはせずに、スコアの上に詩の改変のみを鉛筆書きで行いました。

 改変された具体的な部分とは、ユダヤ人として生きる苦しみを、ロシア人やウクライナ人もユダヤ人と共にこの地に眠る、という内容への変更、虐殺により犠牲となった老人や子供に思いを馳せる部分を、ファシズムの侵攻を阻んだロシアの偉業を讃える内容への変更、でした。 

初演は、19621218日、モスクワ音楽院大ホールでコンドラシン指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団、合唱団、ヴィタリー・グロマッツキーのバス独唱により行われますが、歌詞の内容が反体制的であった為に、初演前から当局のいやがらせが続き、独唱者が次々と交代しました。多くの警官隊が包囲する物々しい雰囲気で何とか初演が行われましたが、演奏が終わると客席は拍手と歓声に包まれ、舞台にはショスタコーヴィッチとエフトシェンコが万雷の拍手に迎えられました。

曲の構成 

第1楽章「バビ・ヤール」 アダージオ 変ロ長調
作品全体の核心となる楽章で、その歌詞はバビ・ヤールでのナチのユダヤ人虐殺や、帝政ロシア時代からソ連や世界に蔓延る反ユダヤ主義を厳しく糾弾しています。合唱により「バビ・ヤールの上に、記念碑は無い。険しい崖が墓碑銘のようなものだ。恐ろしいことに自分がユダヤ民族そのものであるかのように感じる」と歌われ、続いてバス独唱により「いま、自分はユダヤ教徒であると感じる。古代のエジプトをゆっくりと歩き回り、そして十字架に張り付けられて悲惨な最期を遂げる。今でもこの身体には、釘の跡が残っている。」と歌われてゆきます。西側諸国では1970年のアメリカ初演から改変前の歌詞で演奏されていましたが、ソ連においては1985年になって、ようやく改変前の元の歌詞によって演奏されるようになりました。

第2楽章「ユーモア」 アレグレット ハ長調
スケルツォ楽章で、「この世のどんな権力者もユーモアを手なずけることはできなかった」という皮肉に満ちた歌詞が歌われます。民族舞踊的な活力が有りユニークです。

第3楽章「商店で」 アダージオ ホ短調
寒さに耐えながら食料を買う為に行列するロシアの女性たちに悪徳な商売をする商店に、詩人は怒りを覚えるものの、かくいう自分は、高価な食品を買って店を出てゆく生活をしている、と歌われ、延々と重苦しい音楽が続いてゆきます。

第4楽章「恐怖」 ラルゴ
スターリン時代の恐怖政治がロシアから去った現在となっても、偽善や虚偽がはびこる新しい恐怖が現れている、と歌われます。 

第5楽章「出世」 アレグレット 変ロ長調
ロンドの終曲。地動説を唱えて囚われたガリレオを例にとって、真理を声高く発言して信念を貫き、後の世に認められる生き方こそが真の出世であると歌われます。 

それでは愛聴しているCDをご紹介します。

Shosta-kondra011_20220616125701 キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィル/合唱団、グロマッツキー(バス独唱) 1962年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) これは初演から二日後の1220日に再演された際のライブ録音です。ムラヴィンスキーが初演の指揮を断った為にコンドラシンが指揮することになりましたが、ムラヴィンスキーが断った理由は妻が不治の病に冒されていて、自身も憔悴していたことや、この曲の政治的メッセージを嫌ったことなどが考えられますがはっきりはしません。しかしコンドラシンの指揮は代役どころではなく、モスクワ・フィルの鋭利で厚い音と共に鬼気迫る渾身の演奏です。アンサンブルも大きく崩れることは有りません。グロマツキーの声質は幾らか軽めなものの力の入った歌唱ですし、何よりロシアの男声合唱の底力は圧巻です。録音はステレオで、この時代のライブにしては良質で充分に鑑賞に耐えます。もちろん歴史的な価値も計り知れません。所有する全集盤に後述のセッション録音盤と共に納められているのは嬉しいです。 

Shosta-kondra011_20220616125701 キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィル/合唱団、エイゼン(バス独唱)(1967年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) 初演から5年後に、コンドラシンにより再び録音が行われました。オリジナルの形で録音しようとしたところ、当局の圧力で結局は改訂版での収録となりましたが、少なくとも我々の耳には歌詞の違いは問題になりません。エイゼンの太い声での深い歌唱が圧巻です。管弦楽や合唱も前述した初演時のライブと比べると完成度が高く、圧倒されるほどに聴き応えが有ります。初演時ライブの荒々しいほどの緊迫感も捨て難いですが、繰り返して聴く充実感は再録音盤に軍配を上げざるを得ません。録音も初演時ライブから飛躍的に向上した印象は受けませんが、もちろんこちらが上です。 コンドラシンの全集盤に含まれています。

Shosta13-335 キリル・コンドラシン指揮、バイエルン放送響/合唱団、シャーリー=カーク(バス独唱)(1980年録音/タワーレコード盤:フィリップス原盤) 初演者コンドラシンの演奏はこの曲の原点であり、どれもが価値の高いものです。コンドラシンは、このミュンヘンでの演奏会の3か月後に心臓発作でこの世を去りますが、それを知っていた訳は無いでしょうが、正に全霊を傾けた演奏が感動的です。‘60年代のモスクワ・フィルとの演奏の方が鬼気迫る迫力においては勝りますが、こちらはスケールの大きさに加えて、音楽の悲しみがより深く感じられます。管弦楽も合唱も厚みが有りますし、バス独唱の英国のシャーリー=カークも聴き応えのある歌唱が見事です。ライブ録音ですが音質は優れています。 

Shosta-335_20220616125701 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ナショナル響/合唱団、ギュゼレフ(バス独唱)(1988年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集に含まれます。どの曲の演奏についても共通していますが、ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチは、激しい切迫感よりは巨大なスケール感が強く感じられます。オーケストラの音色がやや明るめなのはやむをえませんが、アンサンブルは優秀です。ワシントンの合唱団も声質は明るいですが力強く健闘しています。バス独唱のギュゼレフはブルガリアのベテランで、幾らかオペラ的な歌唱ですが悪くありません。録音も中々に優れています。

Shosta13-61jee1rwqjl_ac_ ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ響/合唱団、コッチェルガ(バス独唱)(1995年録音/グラモフォン盤) 父ヤルヴィはショスタコーヴィチも得意としていて、全集盤こそ有りませんが、後期の曲を中心に録音していました。全体的にテンポが速く切れが良く、拘泥せずに進むので重苦しさは余り有りません。それでも味わいを失わないのは流石です。オーケストラの響きも演奏に適した、ある種の“軽み”が感じられます。ロシアやドイツの楽団のような音の凄味は有りませんが、決してスケールが小さいわけではありません。合唱も切れが良く管弦楽との相性は良いです。コッチェルガはウクライナ出身で、声は余り太くはありませんが、その歌唱は非常に真摯なもので胸を打たれます。

Shosta-13-zap2_g1256783w ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィル/合唱団、アレクサーシキン(バス独唱)(1996年録音/RCA盤) 初演を断ったからなのか、何故かムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの録音が無いのは残念です。であれば、後継指揮者テミルカーノフで聴くしかありません。ムラヴィンスキーほどの透徹した鋭さは無いものの、冷たい鋼のようなオーケストラの音は健在です。コンドラシンのような一心不乱に炎の中に突き進むような凄さは無いものの、オール・ロシア演奏家による充実し切った分厚いサウンドとその音楽に浸りきれます。作曲家の自国の演奏を何より好む自分にとっては、かけがえのない魅力が感じられます。録音も非常に優れています。 

Shosta-6110ipi39il_20220616125701 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響/合唱団、アレクサシキン(バス独唱)(2000年録音/ブリリアント盤) ロシア人のバルシャイはショスタコーヴィチ演奏の権威の一人であり、これはその交響曲全集に含まれる録音です。オーケストラこそドイツのそれですが、合唱団は初演と同じモスクワ・アカデミー合唱団、ソリストにロシア人を配するというこだわり様です。暗く重厚な管弦楽と声楽陣が一体となり正に圧巻の演奏です。その切れ味鋭く、かつ深い音楽表現はコンドラシン/バイエルン放送響盤にも匹敵しますが、録音はこちらがずっと新しいので、はるかに上回る優秀録音です。響きの美しさと凄味ある迫力を余すところなく味わえます。 

この曲についてはコンドラシンの録音がスタンダードになるのは確かですが、現在の鑑賞者の立場では、1967年の再録音盤を第一とせざるを得ません。しかし初演二日目のライブ盤も不滅の価値を持ちます。
録音の良いものでは、コンドラシンの1980年盤ももちろんですが、むしろ録音の優秀さも含めてテミルカーノフ盤、バルシャイ盤を選びたいと思います。


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